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RD-1sが死んだ

いや 正確には重傷を負ったと言うべきか
それもそのはず 地上1メートルもの高度からコンクリートにダイブしたのだから

もちろんダイブの手助けをしてしまったのは僕自身
夜 仕事終わりにハイエースの助手席に黒の革ジャンに包んでおいたのをすっかり忘れて
革ジャンを勢いよく引っ張り出してしまったのだ

ゴッという鈍い音が聞こえ慌てたが彼は平静を装っているように見えた
シャッターも切れるし大切なレンズ傷だらけの格安SWHも無事であったから
ボディー下部の角にチャームポイントができただけだ とその時は思っていた

だが次の日 シャッターを切ると何かおかしい
慌ててレンズを外してみるとシャッター膜が歪んですき間が空いていた
「ああっ やってしまった」と後悔の時間差攻撃
修理期間は?修理代は?との問いが脳内を駆け巡る

coolpix5000から始まった僕のデジタルカメラ生活
そもそも自分の好きな風景を自分の部屋に持ち帰りたいとの思いで
撮り始めた写真であるが、デジタルの空気感表現はとても満足できるものではなかった
発売から時間が経ち安くなった(それでも高かったが)RD-1sをある日手に入れた
他のデジカメとは明らかに異なった表現、その濃密 濃厚な画質に驚いた
フイルム時代と同様の空気感表現をするデジタルカメラに初めて出会った驚き
それ以来他のカメラを使う事は滅多になくなってしまった

でも最近、デジタルの乾いた描写を表現に生かしている人を見るに付け
自分はRD-1sの描写に頼っていて良いのだろうかと自問する日々が多くなっていった
そこで最近、今までのRD-1sと広角単焦点レンズの組み合わせをやめて
イオスと超望遠ズームという全く僕の中になかった組み合わせで何かできないか
実験を始めたのだ

僕は道具を擬人化するのは良くない事だと思っているのだが
それは物好きな自分が、物を大切にしすぎて遂には使わずに飾っておく事を防ぐ為
無理に言い聞かせている事でもある
今回の一件もイオスに浮気したのでRD-1sがへそを曲げたのだ
とついつい考えてしまう 機械は結構そんなタイミングで壊れるものだ

早く直してあげたいけど今ちょうど金欠なんだよ
直すまでは中古で手に入れていたもう1台のRD-1を使う事にしよう
ってもう既に浮気してたりして、、、
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橋の下にホームレスが家を造っている

いや ホームレスなのだから家とは呼べないのかもしれない
じゃあ部屋か うん 部屋ならいいや

いつも思うのだけれど猫とホームレスは居心地のよい場所を知ってる気がする
僕が歩いていて「ここはいい所だな」と思った場所には必ずと言っていい程
猫がいてホームレスが部屋を構えている 
単に僕が人のいない場所が好きなだけかもしれないが、、
ここも橋の下で雨を凌げ、更には南向きなので気持ちのよい朝日を浴びられそうだ
後ろが壁なので冬の北風にも強いだろう

以前はブルーシートが主流であったが最近はシルバーのオシャレな物も増えてきている
意外なことにブルーの物より目立たない
だが住む人にとって良い面は、目立つ目立たないよりも
ブルーシートを透過した青い光ではなくニュートラルなグレーであるという事だろう
青はやる気を減退させる色であると同時に体温をも下げてしまう色であるからだ

なぜそんなにホームレスが気にかかるのか
それは自分の将来の姿であるような気がするから

昔、働いていた会社の社長が「おい お前の未来が歩いてるぞ」
というので見るとそこには空き缶を拾い集めるホームレスがとぼとぼ歩いていた
まあその社長は口の悪いちゃきちゃきの江戸っ子だったのでそれは
冗談だったのかもしれないが、人生なんて分からないものだからなぁ
実際 長いこと関西に住んでいた僕がひょんなことから現在は東京に住んでいる
自分の事については他人の眼の方が確かだったりもするし

僕は独り者であるから守るべき家族の為に死ぬ気で働くなんてことはないので
有り余る物欲だけが仕事のモチベーションになっている
その物欲にしても身の丈にあった物しか買わないから生活向上の為に
儲けようという気分にいまいちなれない
それよりは数多い趣味に充てる時間が欲しい

今は仕事があるから暖かい部屋でぬくぬくと暮らしていられるが
もしホームレスになってしまったら と考えるとつい色々研究してしまう
どんな状況でも楽しんで生きていたいから

そうだ ホームレスになったらせっかくだからホームレスブログを始めよう

安部公房の「箱男」という小説が好きで、その中で主人公が生活する為の「箱」について
ものすごく詳細に解説を加えている
その詳細すぎる解説は小説に生々しいリアリティーをもたらし一気に「箱男」の世界に
引きずり込まれる 僕も「箱」を作ろうとしてしまった程だ

そんな感じでホームレス生活の詳細なインプレッションを日々書き綴るのだ
世の中には様々なインプレッションが存在するがホームレス生活のそれは
あったとしても数少ないのではないか
金の稼ぎ方や妨雨方法、簡単に手に入る防寒対策グッズ、食事の調達方法、
暴漢に狙われない為には、設置に向いた場所の選定方法、隣人とうまく付き合うには、
など様々な情報をアップするのだ

ホームレスの中には発電機を持ち込んでTVを見たり、家庭菜園を作って
自給自足している強者もいるようだ
古いノートパソコンを拾ってきて通信料さえ払えれば、現地からのブログアップも
可能かもしれない 
でもまあ何日かに一度ネットカフェからまとめてアップという方法が現実的か
ネットカフェに行く為の日雇い労働にも気合いが入ろうというものだ

一つ残念なことはホームレスの為に一生懸命アップした生活の知恵の情報は、
パソコンを持っていない、ましてやネット環境など整っていないであろう
他のホームレス達には一切伝わらないというパラドックスが生じることだろう
それでも何が流行るか分からない世の中であるから、普通に生活してる人たちに受けて
人気ブログになったりしてね
誰か喜ぶ人がいればそれはそれでいいのではないだろうか
もしかしたら本になって大ベストセラー、大金持ちになったりして、、、
どっかで聞いた話だな

最近、「昆虫料理を楽しむ」というブログを発見してとても楽しませてもらっている
蜂の子やイナゴなどは有名であるが、このブログでは様々な、ありとあらゆる昆虫を
色々な料理にしてそのインプレッションを載せている
虫の姿をはっきり残した料理の写真と真面目な語り口が相まってかなり笑える
料理前の姿も親切に載せていてくれるので食事の時に見ていたら
虫好きの僕でも吐きそうになってしまった

でも食わず嫌いはいけませんよ
試食会も開かれているようなので是非一度参加してみたい
昆虫料理を好きになれば食べられる野草達と併せて、来るべきホームレス生活において
食事の心配をする必要はまったくなくなるのだ 冬を除けば
ライバルは存在しないはず 世の中ごちそう食べ放題になるのだ 夢のようだ

不景気らしいこの世の中
いつ職を失ってホームレスになるか分からない
10年後?1年後?それとも1月後?
いつか始まるであろう僕の「ホームレスブログ」
お楽しみに
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昔から金属が好きで、、誰も持っていない物が好きで、、
そんな訳で作ってみた
10ミリ厚の真鍮板にドリルで穴を沢山あけて切り出し、あとはひたすらヤスリで
削り続けるというある種修行のような方法をとった
家でうるさい電動工具を使う訳にもいかないから という理由もあるんだけど

10ミリもの厚さを必要とした理由は、横から見た時に三日月のように湾曲して
腹にフィットする様にしたかった為
実はこいつは2号機で、1号機は5ミリ厚で作ったのだが立体感があまり出なかったので
納得がいかず10ミリ材を使った 

世の中で売っているバックルはほとんどが鋳物で金属を溶かし型に流し込んで
作られている 大量生産が可能なのだ
金属のムク材から削り出してバックルを作るなんて酔狂なことをするのは
個人のハンドメイドだけだろう
一般的には金属棒を曲げて作られるベルトの長さを調節する際に使う棒も
削り出して形を作った
アホらしいけどやるなら徹底的にやらなきゃね

銅と亜鉛の合金である真鍮(しんちゅう)って普通、金色だと思われてるけど
磨きを掛けた直後はかなり白っぽい金色
すぐ酸化するからその色を楽しめるのはほんの一瞬
製作者にはそんな特権もあるのだ

どこでも見た事のないデザインを考えざっくりと紙に書いてみて
あとは削りながら立体感とラインを細かく詰めていく
削りすぎると後戻りはできないのだから緊張感がある
植物の様な流れるラインを出すべく長時間金属を見つめ続けると
「ここを削れ」と金属が言ってくるので繊細かつ大胆にヤスリをあてる
そしてピカピカに磨き上げると、あとはガンガンに普段使いで使ってやれば良い
使い込まれた金属は美しい 
そして酸化や傷も年月の記憶なのだから

禁煙ブームですが
実はライターや灰皿も金属で作ってるので気が向いたら紹介します
写真撮るのが面倒なので、、
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物事を見る時にどの距離で見るか どの大きさで見るか というのは
常に興味深い問題

例えば人を見るとき1キロ離れると点にしか見えず人物の区別もつかないだろう
だが100メートルなら男女の区別がつき、50メートルなら身長の高低、年齢
10メートルなら顔の判別ができ、1メートルではシワの多少、50センチでは
シワの深浅や肌のテクスチャーまでも見えてしまうであろう
友人でさえ野球場の対面のスタンドに居れば
大勢の人間の中の一人になってしまう 
近くでは兄と呼んでた人がある距離離れるとただの男になり
さらに離れるとただの人になり更には点になり消える
見る距離によって意味が変わってしまう ということだ

逆に人肌を10倍に拡大して見てみると誰の肌を見ても年齢による差か
分かっても男女の差くらいしか分からないはずだ
100倍に拡大すればそこはもうどこかの山脈か他の惑星の地表の様に
見えてしまう
そこはもはや人格などという物は微塵も存在しない物としての世界になってしまう
説明されなければ人の肌だとさえ分からないのではないか

川に架かる鉄の橋を橋として見える距離から見るのか、もっと近づいて鉄骨として
見るのか、更に近づいて素材としての鉄として見るのかによって
物の見え方は全く異なってくるのであるから、やはり距離というのは大切だ
グーグルアースで地球全景からズームインしていくとある距離から突然
街や船などの人工構造物が立ち現れることに気付く

上の写真は高高度から見た海岸線の砂浜の様に見えたり
海に浮かぶ流氷の様にも見える
色が赤ければヘリからの赤潮の映像にも見える
が実は雨上がりの水たまりに白い粉が浮かんで形作られた模様
実際の大きさは長辺が50センチ程か
雲や上の写真のような距離やスケールに関わらず同じイメージが現われる
フラクタルな造形も気になって仕方がない
僕はこんな光景を見ると無条件にテンションが上がり写真を沢山撮ってしまう
理屈では説明できないが自然の法則に則った造形は神経細胞に直接触れるような
パワーを持っている
岡本太郎氏が縄文式土器を見て受けた衝撃もきっとこんなプリミティブな
ものであったであろう と勝手に想像してみる

写真表現に於いても意味が変わるスケールの境界線辺りにおもしろいものが
潜んでいる気がするのだが、それをどうやってあぶり出せばよいのかが分からない
超望遠レンズで何かできないか実験中
写真ってやっぱり難しい
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新宿に行くと(僕は大田区在住)2回に一回は職務質問を受ける
「ナイフを持ってないか?」と聞かれるのだ

確かに友人達にも見た目が怪しいとはよく言われるのだが
それにしてもちょっと回数が多すぎやしないか
つい先日も止められたので聞いてみた
「僕はそんなに怪しいですか?」と
「いや そうじゃないんです 以前そのバッグを持っていた人が
ナイフを所持してたことがありまして、、、」

そのバッグとは吉田かばんのラッゲージレーベルというシリーズ
収納が沢山あり防水生地で雨にも強くタフで手荒に扱っても3年は使えるので
カメラバッグとしても長年愛用しているものだ

それにしてもカバンで人を判断してもいいのだろうか
警官曰く「そのバッグは軍事マニアがよく持っていて、軍事マニアには
ナイフコレクターが多いでしょ だから聞いてみただけなんです」とのこと
聞くと警官ごとに怪しい人の見分け方の独自ポイントがあるらしい ふーん
それはちょっと聞いてみたい気がする
まあ職質自体は飲みの席のネタになるから嫌いじゃないんだけど
あんまり続くと人として大丈夫なんだろうかと考えてしまう

でもそんなに周りから浮いてるのだとすると
街に溶け込んでのストリートスナップなど夢のまた夢 
ふう
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植物が好き

なぜか小さい頃から植物が好きだった いわゆる花好きではない 植物が好きだったのだ
そしてあらゆる出版社の植物図鑑を持っていた
親父がオリンパスPEN-Fで撮ってくれた植物写真をいつもながめてはご満悦な少年だった
小学校に入る頃には見るだけでは飽き足らずに、奈良県にある大和農園という
植物を通信販売してくれる所から時々買うようにまでなった
春と秋には特大号のパンフレットが送られてきて、すり切れるまで熟読し
何ヶ月も貯めた小遣いで何を買うかを考えている時が幸せだった

でも普通の花では満足しなかったらしく母親にはいつも「たまには普通に奇麗な
花を買いなさいよ」とよく言われた
僕の中では普通に奇麗、というかワクワクする花を選んでたつもりなんだけど
まあ黒いチューリップとか黒いカラーなんかを選んでたから今思えば
結構怖い子供だったのかもしれない
とにかく球根が好きで、多肉植物、食虫植物が好きで、ランが好きと
何か変わった所がある植物が好きだったようだ

それは成長していい年したオッサンになった今でも基本的には変わらない
それでも一般的に奇麗と言われる花も好きになったし、何より変わったのは
雑草と呼ばれる草達も好きになったことだ
ツリフネ草とかカラス瓜、ギンリョウ草など 一風変わった草達は
昔から好きだったけど、今はそこらにボウボウ生えてる名も知らぬ雑草も
カッコいいな、きれいだな、と思う様になってきた 重傷かもしれない

植物が主役の写真を撮りたくて赤外写真も撮り始めた
でも夜の植物もまた良い 色気がある
今にも蠢き出しそうに見える瞬間がありどきっとさせられる
暗闇の植物は意思を持っている様にも思える

でもそれもこれも全てを見られない闇の成せる技
精神が昂り想像力をかき立てられる
全てを見せちゃいけないよ
僕は何事に於いても圧倒的にチラリズム派だ

声高に言うことではないけれど
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夜はいつでも肌にやさしい
心地よい緊張と緩和
やっぱり夜はいい
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悩んでいる

このブログで文章を書くべきかどうかを

人間の感性、感覚はかなり不安定なもので写真に文章が付いているだけで
確実にその写真に対する見方が変化する
書いてある内容によっても見え方は変わるであろう

例えば奇麗な夕焼けの写真があったとしよう その下には
「今日は最高の1日を過ごせた そしてその締めくくりとして
天も最高の夕焼けをプレゼントしてくれたようだ 僕の心を代弁するかのような
高揚感のある空の色」
という文章が付いている場合と
「大切な友人が亡くなったあの日もちょうどこんな燃えるような夕焼けが
空一面を覆い尽くしていた 僕の悲しみを映した赤 真っ赤な赤色」
とでは写真の見え方が違ってくるはずだ 少なくとも僕には違って見える

文章や言葉は写真の見方を限定する
良い悪いではないが いつ、どこで、どんな状況で、どんなカメラで、その時の心境は、
など情報が増えれば増える程、想像力は減衰し書かれた情報に沿った見方を
してしまいがちになる
僕にとって写真の魅力の一つは人間の能力では絶対不可能な、一瞬の世界を切り取り
それを好きな見方で好きなだけの時間をかけて見て想像力という翼を使い
アナザーワールドへ旅立てることだと思っている
だから今の所動画にはあまり魅力を感じていない
普段見ている光景のただのチープな模倣に見えてしまって想像力が稼働してくれないのだ

だがその一方で文章があることでより楽しめる写真があることもまた事実
僕にはない感性を持った人の写真を見る場合には見方を指し示してくれると
途端に魅力的な写真に変貌してくれることも多い
脳内で新たに神経回路が接続されるがごとくの変化はかなりの興奮を味わえる

そんな訳で酔っぱらいが千鳥足で繁華街をふらついている様に
様々な考え方の狭間で揺れ動いているのだが、悩んでいても何も変わりはしないだろう
誰かに見られるという緊張感なくして変化は生じないものだ
いんたーねっとなどというすごい物から隔離されていたアナログ人間の僕が
遅ればせながら辿り着いたこのブログという便利な発表会場を借りて
こっそり世の中の隅っこから試行錯誤もろともお届けしたい
ひっそりと決意表明
誰か楽しんでくれたらそれはそれで幸せだ

最後に冒頭の写真について
塗装屋さんの店先に置いてあった塗料の洗い桶
様々な色を混ぜ合わされた為であろう 限りなくグレーに近いブルーグリーン
だが顔料による重さの違いが生じ それが模様となって表層に浮かび上がっている
普段は決して見ることのできない流体の複雑な動き
同じく普段は見ることのできない空気の動きをタバコの煙がトレースして可視化
してくれるのと同様に興奮する光景

カメラはイオス5D レンズは古いニッコールオート35ミリf1.4絞り解放
写った画像をじっと見てると太陽虫のような新たな生物の様にも見えるし
絞り解放による周辺減光によって目の虹彩に見えたりもする
脳から張り巡らされた神経回路を模倣した図形にもみえるしこのレンズ独特の
収差によって不思議な立体感、奥行き 現実と夢の間のような境界も感じる

と以上が写真説明
と僕の感想

見え方 変わりました?
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献血に行った
年に一回は行くことにしている
普段とても人の役に立っているとは言えない生活を送っている僕にとっては
年に一回の社会奉仕の機会でもあるし、医学関係の知識を増やす機会でもあるし
普通は撮れない写真を撮れる機会でもある

看護士さんによると僕の血管は太くて非常に血を抜きやすいらしい
運動をしている人間は血管が太くなるそうだ
そりゃそうだ 運動している時の筋肉は大量の酸素を必要とする
そして酸素を持った大量の血液を効率よく運ぶ為には太い血管にする必要がある 
という訳

僕は今は特に運動をしている訳ではないのだが、中学は野球部、高校は柔道部
だったので(大学は軽音楽部だったんだけど、、)血管が太く成長したのかもしれない
年配の(失礼!)看護士さん達が寄ってたかって「いい血管だねぇ」と褒めてくれると
男前に生まれてたらこんな感じだったのかなとちょっぴり幸せな気分を味わった

小型の人工心肺装置のような(見たことないけど)機械で血液パックが
ずっと撹拌されてるのを見て「あれはなんでですか?」と質問すると
血はそのままだと固まってしまうので血液凝固防止剤と混ぜ合わせているのだ
とのお答え なるほど聞かなければ分からないことってまだいっぱいあるのだな
と感慨に耽る
だが太い血管が災いし(幸い?)最高速度で抜かれたらしくあっという間に採血終了 

かくして僕の好奇心満足への旅はあっけなく終わってしまったのであった
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