c0194233_9153437.jpg

[PR]
c0194233_0321091.jpg

昔から金属が好きで、、誰も持っていない物が好きで、、
そんな訳で作ってみた
10ミリ厚の真鍮板にドリルで穴を沢山あけて切り出し、あとはひたすらヤスリで
削り続けるというある種修行のような方法をとった
家でうるさい電動工具を使う訳にもいかないから という理由もあるんだけど

10ミリもの厚さを必要とした理由は、横から見た時に三日月のように湾曲して
腹にフィットする様にしたかった為
実はこいつは2号機で、1号機は5ミリ厚で作ったのだが立体感があまり出なかったので
納得がいかず10ミリ材を使った 

世の中で売っているバックルはほとんどが鋳物で金属を溶かし型に流し込んで
作られている 大量生産が可能なのだ
金属のムク材から削り出してバックルを作るなんて酔狂なことをするのは
個人のハンドメイドだけだろう
一般的には金属棒を曲げて作られるベルトの長さを調節する際に使う棒も
削り出して形を作った
アホらしいけどやるなら徹底的にやらなきゃね

銅と亜鉛の合金である真鍮(しんちゅう)って普通、金色だと思われてるけど
磨きを掛けた直後はかなり白っぽい金色
すぐ酸化するからその色を楽しめるのはほんの一瞬
製作者にはそんな特権もあるのだ

どこでも見た事のないデザインを考えざっくりと紙に書いてみて
あとは削りながら立体感とラインを細かく詰めていく
削りすぎると後戻りはできないのだから緊張感がある
植物の様な流れるラインを出すべく長時間金属を見つめ続けると
「ここを削れ」と金属が言ってくるので繊細かつ大胆にヤスリをあてる
そしてピカピカに磨き上げると、あとはガンガンに普段使いで使ってやれば良い
使い込まれた金属は美しい 
そして酸化や傷も年月の記憶なのだから

禁煙ブームですが
実はライターや灰皿も金属で作ってるので気が向いたら紹介します
写真撮るのが面倒なので、、
[PR]

c0194233_215321.jpg

[PR]

c0194233_4491188.jpg

[PR]

c0194233_1383327.jpg

[PR]
c0194233_16124884.jpg

物事を見る時にどの距離で見るか どの大きさで見るか というのは
常に興味深い問題

例えば人を見るとき1キロ離れると点にしか見えず人物の区別もつかないだろう
だが100メートルなら男女の区別がつき、50メートルなら身長の高低、年齢
10メートルなら顔の判別ができ、1メートルではシワの多少、50センチでは
シワの深浅や肌のテクスチャーまでも見えてしまうであろう
友人でさえ野球場の対面のスタンドに居れば
大勢の人間の中の一人になってしまう 
近くでは兄と呼んでた人がある距離離れるとただの男になり
さらに離れるとただの人になり更には点になり消える
見る距離によって意味が変わってしまう ということだ

逆に人肌を10倍に拡大して見てみると誰の肌を見ても年齢による差か
分かっても男女の差くらいしか分からないはずだ
100倍に拡大すればそこはもうどこかの山脈か他の惑星の地表の様に
見えてしまう
そこはもはや人格などという物は微塵も存在しない物としての世界になってしまう
説明されなければ人の肌だとさえ分からないのではないか

川に架かる鉄の橋を橋として見える距離から見るのか、もっと近づいて鉄骨として
見るのか、更に近づいて素材としての鉄として見るのかによって
物の見え方は全く異なってくるのであるから、やはり距離というのは大切だ
グーグルアースで地球全景からズームインしていくとある距離から突然
街や船などの人工構造物が立ち現れることに気付く

上の写真は高高度から見た海岸線の砂浜の様に見えたり
海に浮かぶ流氷の様にも見える
色が赤ければヘリからの赤潮の映像にも見える
が実は雨上がりの水たまりに白い粉が浮かんで形作られた模様
実際の大きさは長辺が50センチ程か
雲や上の写真のような距離やスケールに関わらず同じイメージが現われる
フラクタルな造形も気になって仕方がない
僕はこんな光景を見ると無条件にテンションが上がり写真を沢山撮ってしまう
理屈では説明できないが自然の法則に則った造形は神経細胞に直接触れるような
パワーを持っている
岡本太郎氏が縄文式土器を見て受けた衝撃もきっとこんなプリミティブな
ものであったであろう と勝手に想像してみる

写真表現に於いても意味が変わるスケールの境界線辺りにおもしろいものが
潜んでいる気がするのだが、それをどうやってあぶり出せばよいのかが分からない
超望遠レンズで何かできないか実験中
写真ってやっぱり難しい
[PR]

c0194233_1018771.jpg

[PR]

c0194233_5402045.jpg

[PR]
c0194233_224335.jpg

新宿に行くと(僕は大田区在住)2回に一回は職務質問を受ける
「ナイフを持ってないか?」と聞かれるのだ

確かに友人達にも見た目が怪しいとはよく言われるのだが
それにしてもちょっと回数が多すぎやしないか
つい先日も止められたので聞いてみた
「僕はそんなに怪しいですか?」と
「いや そうじゃないんです 以前そのバッグを持っていた人が
ナイフを所持してたことがありまして、、、」

そのバッグとは吉田かばんのラッゲージレーベルというシリーズ
収納が沢山あり防水生地で雨にも強くタフで手荒に扱っても3年は使えるので
カメラバッグとしても長年愛用しているものだ

それにしてもカバンで人を判断してもいいのだろうか
警官曰く「そのバッグは軍事マニアがよく持っていて、軍事マニアには
ナイフコレクターが多いでしょ だから聞いてみただけなんです」とのこと
聞くと警官ごとに怪しい人の見分け方の独自ポイントがあるらしい ふーん
それはちょっと聞いてみたい気がする
まあ職質自体は飲みの席のネタになるから嫌いじゃないんだけど
あんまり続くと人として大丈夫なんだろうかと考えてしまう

でもそんなに周りから浮いてるのだとすると
街に溶け込んでのストリートスナップなど夢のまた夢 
ふう
[PR]

747

c0194233_743674.jpg

[PR]

c0194233_4431259.jpg

[PR]

c0194233_11868.jpg

[PR]

c0194233_103176.jpg

[PR]
c0194233_2235542.jpg

植物が好き

なぜか小さい頃から植物が好きだった いわゆる花好きではない 植物が好きだったのだ
そしてあらゆる出版社の植物図鑑を持っていた
親父がオリンパスPEN-Fで撮ってくれた植物写真をいつもながめてはご満悦な少年だった
小学校に入る頃には見るだけでは飽き足らずに、奈良県にある大和農園という
植物を通信販売してくれる所から時々買うようにまでなった
春と秋には特大号のパンフレットが送られてきて、すり切れるまで熟読し
何ヶ月も貯めた小遣いで何を買うかを考えている時が幸せだった

でも普通の花では満足しなかったらしく母親にはいつも「たまには普通に奇麗な
花を買いなさいよ」とよく言われた
僕の中では普通に奇麗、というかワクワクする花を選んでたつもりなんだけど
まあ黒いチューリップとか黒いカラーなんかを選んでたから今思えば
結構怖い子供だったのかもしれない
とにかく球根が好きで、多肉植物、食虫植物が好きで、ランが好きと
何か変わった所がある植物が好きだったようだ

それは成長していい年したオッサンになった今でも基本的には変わらない
それでも一般的に奇麗と言われる花も好きになったし、何より変わったのは
雑草と呼ばれる草達も好きになったことだ
ツリフネ草とかカラス瓜、ギンリョウ草など 一風変わった草達は
昔から好きだったけど、今はそこらにボウボウ生えてる名も知らぬ雑草も
カッコいいな、きれいだな、と思う様になってきた 重傷かもしれない

植物が主役の写真を撮りたくて赤外写真も撮り始めた
でも夜の植物もまた良い 色気がある
今にも蠢き出しそうに見える瞬間がありどきっとさせられる
暗闇の植物は意思を持っている様にも思える

でもそれもこれも全てを見られない闇の成せる技
精神が昂り想像力をかき立てられる
全てを見せちゃいけないよ
僕は何事に於いても圧倒的にチラリズム派だ

声高に言うことではないけれど
[PR]
c0194233_55953.jpg

夜はいつでも肌にやさしい
心地よい緊張と緩和
やっぱり夜はいい
[PR]
c0194233_17135976.jpg

[PR]

c0194233_0491199.jpg

[PR]
c0194233_4264073.jpg

悩んでいる

このブログで文章を書くべきかどうかを

人間の感性、感覚はかなり不安定なもので写真に文章が付いているだけで
確実にその写真に対する見方が変化する
書いてある内容によっても見え方は変わるであろう

例えば奇麗な夕焼けの写真があったとしよう その下には
「今日は最高の1日を過ごせた そしてその締めくくりとして
天も最高の夕焼けをプレゼントしてくれたようだ 僕の心を代弁するかのような
高揚感のある空の色」
という文章が付いている場合と
「大切な友人が亡くなったあの日もちょうどこんな燃えるような夕焼けが
空一面を覆い尽くしていた 僕の悲しみを映した赤 真っ赤な赤色」
とでは写真の見え方が違ってくるはずだ 少なくとも僕には違って見える

文章や言葉は写真の見方を限定する
良い悪いではないが いつ、どこで、どんな状況で、どんなカメラで、その時の心境は、
など情報が増えれば増える程、想像力は減衰し書かれた情報に沿った見方を
してしまいがちになる
僕にとって写真の魅力の一つは人間の能力では絶対不可能な、一瞬の世界を切り取り
それを好きな見方で好きなだけの時間をかけて見て想像力という翼を使い
アナザーワールドへ旅立てることだと思っている
だから今の所動画にはあまり魅力を感じていない
普段見ている光景のただのチープな模倣に見えてしまって想像力が稼働してくれないのだ

だがその一方で文章があることでより楽しめる写真があることもまた事実
僕にはない感性を持った人の写真を見る場合には見方を指し示してくれると
途端に魅力的な写真に変貌してくれることも多い
脳内で新たに神経回路が接続されるがごとくの変化はかなりの興奮を味わえる

そんな訳で酔っぱらいが千鳥足で繁華街をふらついている様に
様々な考え方の狭間で揺れ動いているのだが、悩んでいても何も変わりはしないだろう
誰かに見られるという緊張感なくして変化は生じないものだ
いんたーねっとなどというすごい物から隔離されていたアナログ人間の僕が
遅ればせながら辿り着いたこのブログという便利な発表会場を借りて
こっそり世の中の隅っこから試行錯誤もろともお届けしたい
ひっそりと決意表明
誰か楽しんでくれたらそれはそれで幸せだ

最後に冒頭の写真について
塗装屋さんの店先に置いてあった塗料の洗い桶
様々な色を混ぜ合わされた為であろう 限りなくグレーに近いブルーグリーン
だが顔料による重さの違いが生じ それが模様となって表層に浮かび上がっている
普段は決して見ることのできない流体の複雑な動き
同じく普段は見ることのできない空気の動きをタバコの煙がトレースして可視化
してくれるのと同様に興奮する光景

カメラはイオス5D レンズは古いニッコールオート35ミリf1.4絞り解放
写った画像をじっと見てると太陽虫のような新たな生物の様にも見えるし
絞り解放による周辺減光によって目の虹彩に見えたりもする
脳から張り巡らされた神経回路を模倣した図形にもみえるしこのレンズ独特の
収差によって不思議な立体感、奥行き 現実と夢の間のような境界も感じる

と以上が写真説明
と僕の感想

見え方 変わりました?
[PR]

xy

c0194233_312134.jpg

[PR]
c0194233_0153927.jpg

献血に行った
年に一回は行くことにしている
普段とても人の役に立っているとは言えない生活を送っている僕にとっては
年に一回の社会奉仕の機会でもあるし、医学関係の知識を増やす機会でもあるし
普通は撮れない写真を撮れる機会でもある

看護士さんによると僕の血管は太くて非常に血を抜きやすいらしい
運動をしている人間は血管が太くなるそうだ
そりゃそうだ 運動している時の筋肉は大量の酸素を必要とする
そして酸素を持った大量の血液を効率よく運ぶ為には太い血管にする必要がある 
という訳

僕は今は特に運動をしている訳ではないのだが、中学は野球部、高校は柔道部
だったので(大学は軽音楽部だったんだけど、、)血管が太く成長したのかもしれない
年配の(失礼!)看護士さん達が寄ってたかって「いい血管だねぇ」と褒めてくれると
男前に生まれてたらこんな感じだったのかなとちょっぴり幸せな気分を味わった

小型の人工心肺装置のような(見たことないけど)機械で血液パックが
ずっと撹拌されてるのを見て「あれはなんでですか?」と質問すると
血はそのままだと固まってしまうので血液凝固防止剤と混ぜ合わせているのだ
とのお答え なるほど聞かなければ分からないことってまだいっぱいあるのだな
と感慨に耽る
だが太い血管が災いし(幸い?)最高速度で抜かれたらしくあっという間に採血終了 

かくして僕の好奇心満足への旅はあっけなく終わってしまったのであった
c0194233_01623100.jpg

[PR]
c0194233_22483237.jpg

[PR]

c0194233_6454090.jpg

[PR]
c0194233_035313.jpg

[PR]
c0194233_10463743.jpg

[PR]
c0194233_22502165.jpg

[PR]

c0194233_0564648.jpg

[PR]

c0194233_2183774.jpg
c0194233_2192534.jpg
c0194233_2110054.jpg

[PR]

c0194233_1039282.jpg

[PR]
c0194233_10573479.jpg

[PR]
c0194233_232096.jpg

とにかく始めてみる
[PR]
←menuへ